副業魔女の私小説

人間として正しく生きるより、一匹のいきものでありたい。

わたしの「占い」に対する考え方

ずいぶんと昔の話だが、占星術師をされている方とお話したことがある。

 

そこには占星術師の方と、そのアシスタントの方がいて、アシスタントの方がわたしを指して「あなた何座? 獅子座? 獅子座ってどんな性格なの?」と、占星術師の方に聞いた。

 

占星術師の方は「獅子座だけど、月星座が蟹座だから、初対面の人に対してはちょっと人見知りで、グイグイ来られると引いちゃう人。でも、慣れたらすごく親しくなれるよ」と、答えていて、アシスタントの方は「そうなんだー。ごめんねー初対面なのに慣れ慣れしくしちゃってー」と、わたしに向かって言った。

 

 

そのときに感じた妙な違和感を、今でも覚えている。

 

 

なんだろう。わたしの性格って、わたしの内面だよね?

わたしの内側にあるものを、なぜわたしの外にあるものに聞くんだろう?

 

わたしという人間は目の前にいる。わたしは会話ができるし、聞かれたことには答えられる。わたしの外見や、雰囲気や、全体の佇まいから推察することだってできるだろう。それなのになぜ、目の前にいる「わたし」を見ることなく、話すことも関わることもせずに、ホロスコープという一枚の紙切れによって、わたしを知ろうとするんだろう?

 

目の前の人のことが知りたいのに、なぜ目の前の人間をそっちのけで、別のものを見ているんだろう?

 

あなたは誰と会話しているの?

 

これが違和感の正体だった。

 

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断っておくと、わたしは小学生くらいの頃から重度の占いオタクで、一時期は原宿の占いサロンでタロット占い師をしていたこともある。

 

ホロスコープだけでなく、四柱推命数秘術動物占いに手相や人相に至るまで、占いの鑑定結果というものが、いかに詳しく正確に「その人」を表すものかということを、わたしはとてもよく知っている。

 

 

でも思う。

占いって「情報」だ。

 

 

ホロスコープ四柱推命(や、その他占い)は、本当に詳しくわたしという人物像を見せてくれる。

 

でも、それは「わたし」じゃない。わたしという人間ではない。

 

遺伝子を見れば、その人がどんな性質を持つものなのか隅々までわかるけれども、遺伝子の配列情報がその人ではないのと同じだ。

 

情報は情報であって、人じゃない。

 

それがどんなに詳しくわたしを表していても、それはわたしではない。わたしによく似た、わたしの「写し」だ。そこに並んでいるのは、わたしの情報であって、わたしという人間そのものではないんだ。息をして、血を流して、感情を感じる「生きたわたし」は、そこにはいない。

 

占いをやっていると、そんな違和感をときどき強く感じる。

 

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冒頭の件に戻ると、目の前の人よりも先に「情報」があるように思う。

 

「獅子座というのはこういう性格ね。だからあなたはこういう性格なのよね」と。

 

違うだろう、って思う。その人がどういう性格か、もっと言うと、その人がどういう人間かは、その人を見ることで知るものじゃないか。

 

その人の顔立ち、表情。会話の受け答え。ああ、この人ってこんな考え方をするんだ。こんな話し方をするんだ。こんな立ち居振る舞いをするんだ。こういうふうに笑うんだな。こういうことで怒るんだ。怒ったときはこんな感じになるんだ。こういう経験をしてきたんだ。こんなことを感じてきて、今はこんなふうに感じているんだ。こういう服装が好きなんだな。こんな人が好みなんだ。

 

こんなやり取りから感じ取れるものが、その人じゃないのかな。その人の「人間性」で、「心のあり方」なんじゃないのかな。その人を知るって、その人を理解するって、その人の心に触れることじゃないかなあ、と思うんだ。

 

 

 

なんかね、逆だよね、って思う。

まず「獅子座はこういう人」があって、その後で「獅子座の人」を見て「こういう人なんだ」と答え合わせをしてるみたいな。その人と会話してるのではなく、脳内にある「獅子座データ」を見て会話してるみたいな感じ。

 

占いサロンにいたとき、隣のブースの占星術師の方が、やたらと自分の体調と星回りを結びつけて発言する人だった。

 

「今日わたし満月だから身体が重いんですよ。それに火星となんとか星がなんとかなので(覚えていない)精神的にもなんかどーーんとしちゃって鬱気味だし、それになんとか星の逆行も起こってるからこんな不調やあんな不調も出てるし——」

 

うん。わかるよ。

実際、わたしも満月だと妙にソワソワしたり、逆に身体が重くなったりするし、水星逆行中は通信やコミュニケーションにトラブルが起こりやすい。それはわたしも体感しているから、それにケチをつけるつもりはない。

 

 

だけど、この人は一体どこを生きているんだろう? とは思った。

 

 

なんかな、

「明日は満月なので、わたし明日は不調になるんです」

みたいなのって、変じゃないか?

 

体感と事実(原因)が逆転してる気がするんだ。

 

この場合も、「情報」が先にある、って感じる。

 

ちょっと乱暴な言い方すると、先に情報があって、それに体の感覚を合わせてる、みたいな感じ。(実際、星回りによって体感覚や心の状態が変化する、というのはよくわかっているんだけどね)

もっと言うと、なんでもかんでも占星術にこじつけてる、みたいな。

 

なんか、この人は「情報」を生きているのかな? と感じた。

 

自分の今いる現実、自分の身体を生きているのではなく、頭の中にある「情報」の中を生きている。そんなふうに、わたしには思えた。

 

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わたしは占いが大好きだけど、占い嫌いな人が危惧しているのって、こういうところなんじゃないかな、と思う。

 

地に足がつかなくなる、とか。

自分を決めつけられているようで嫌だ、とか、よく聞く。

 

これらも、「情報」としての占いを、目の前の人や現実よりも優先したときに起こる感覚じゃないか、と思う。

 

目の前の現実ではなく、星周りや運勢の方ばかりに囚われて生きてしまうのもそう。

目の前にいる人物ではなく、ホロスコープや、鑑定内容だけを見て、その人を判断してしまうのもそう。

 

この「自分という人間を見られていない感覚」が、「決めつけられている」ように感じて、嫌な気分にさせてしまうのだろうね。(書いていて気がついたけど、これ血液型ハラスメントも同じ構造だよね)

 

 

 

占いとは、情報だ。

そして、ただ「情報」とだけ捉えるなら、その精度は素晴らしく高い。

 

それを上手に、生活や人付き合いに取り入れるなら、使いようによっては心を軽くしてくれるし、生きるのを楽にしてくれると思う。

 

 

ただし、情報は情報であって、人ではない。

 

 

その人の情報を知ったからって、その人を理解したことにはならないと思う。

その人に詳しいからと言って、その人をわかっていることにもならないと思う。

 

相手のことを理解するって、その人の「人間性」に触れることじゃないのかな、って思うんだ。その人と直接関わって、その人の感じていることを、共に感じることじゃないか、って思うんだ。

 

その人の熱を、感覚を、痛みや感情や、経験してきた出来事や、そうした心の内側に触れて感じることが、その人を見る(知る、わかる)ということじゃないのかな、と思う。

 

それをせずして、ただ「情報」だけを見るのなら、なにも「占い師」である必要はないんじゃないか。占いの「知識」を詰め込みたいだけなら、ただの「占いオタク」をしていればいい。

 

「占い師」であるなら、人と関わる仕事をするのなら、わたしはその人を感じたいと思う。その人の内側の深いところまで触れたいし、見せて欲しいと思う。血の通った、生きたその人と話したいし、知りたい。その上で、有効な「情報」としての占いを、人生に活かすお手伝いがしたい。

 

 

これがわたしの「占い」に対する考え方だ。

 

 

実際わたし、占いの「知識」に関しては、それほど深く興味がない。

 

あると言えばあるけど、やはりそれはツールとしてであって、わたしはどこまでも「人」に興味があるのだと思う。それも、表面的なことではなくて、人の内面の、深い部分を知りたい。その人の生きてきた物語を、わたしも見たいと思うのだ。

 

そのためのツールとして、占いを使いたい。

 

という感じで、占い師、再開します。

 

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