副業魔女の私小説

人間として正しく生きるより、一匹のいきものでありたい。

ゼロだからこそ無限だ

とっくに過ぎた話だけれど、36歳の誕生日を迎えた。

 

多分、人生で最も地味な誕生日だったと思う。去年は自分の誕生日イベントなんぞ開催したものだから、落差が激しすぎる。特に何もすることなく、特に誰からも祝われることもなく、一日を終えた。

 

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去年の様子↑

 

いわゆる義理コメが好きじゃないので、あんまり交流のない人から大量にメッセージをもらうのも困るな、と思っていたのだけど、全く反応がないと、それはそれで寂しいものだな、と思った。そうなった理由は自分でもよくわかっているので、それに対して落ち込むわけではないんだけど。来年はどうなるかな。

 

誕生日付近、7月の終わりくらいまで、自分というものがどんどん引き剥がされ、削ぎ落とされていくような感覚があった。感情を大きく揺さぶられるようなことはなかったけれど、今までで一番苦しかった。

 

自分の中にある負の感情に揺さぶられる経験は、今までに何度となくしてきたけれど、今回のは少し様子が違った。今までなら、動揺して激しく反応してしまったところを、今回はその存在をあると認めたまま、じっとそれを受け入れ続けるような感覚だった。

 

黒く苦い毒を、ゆっくりゆっくり飲み干していくような。

 

黒さも、毒も、自分の中にあるなんて、もうとっくにわかっているのだ。もう何度も何度も、その存在を見てきた。暴いて、白日の元に晒して、そのたびに恐怖におびえてきた。今までは、自分の「底」を見るたびに、恐怖と自己嫌悪でどうにかなりそうだったけれど、今回は違った。腹の底が焦げつくような感覚が苦しかったけれど、恐怖はなかった。この感覚はいずれ抜けると、わかっていたからだ。そして実際に抜けた。

 

抜けたからといって、特に劇的な変化はない。

今までと変わらない生活なのだけど、気持ちの持ち方がとても楽になった。今の自分を責めたり、自分を変えなければ、という強迫観念はほぼなくなり、今まで以上に自分に対して肯定的になった。

 

「これがわたしなのだ」という感覚が、今までは多量に自虐を含むものだったのが、今はただの肯定に変わった。自分を認めた、ということなのかもしれない。

 

面白いことに、自虐や自責をやめたら、今までは「こんな自分でどうやって生きていこう」と思っていたものが、「自分には何ができるだろう」に変わった。

 

今までは、「こんな自分に、出来ることなどあるのだろうか」という観点でものを見ていたのが、今は「こんな自分だから、やれることがある」と感じている。その先の焦点はまだ絞れていないが、なんとなく未来に希望のようなものが持てるようになった。

意識が前を向いた。そんな感じだ。

 

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お陰さまで、状況的には人生で最も不安定なのだけれど、気持ち的には今が一番安定している。正直自分でも、なぜこの状況で安定していられるのかわからない。

 

今のわたしは、人生で一番、何も持っていない。

 

34歳で人生を変えたくなり、持っているものを全て捨てた。

35歳で全てから見放され、残ったものも全て失った。

 

全ては言い過ぎだけど、ほとんどのものを手放し、失ったと感じている。正直、失ったものは大きかった。もっと正直に言うと、これほど多くを失うとは思っていなかった。見通しがとても甘かった。

しかし、そもそも手放したのは自分だ。失うものがあるとわかっていて、人が離れていくとわかっていて、わたしは己を通したのだ。責任は自分にある。

 

己の通し方も下手くそだった。それも最初からわかっていた。自分に従うことと、ワガママを通すことの区別もついていなかった。本音を言うことと、感情をぶつけることの違いもわかっていなかった。でも、最初からそれが上手くできるわけない、ということもわかっていたのだ。誰かに正解を教わって、最初から上手くやろうなんて、思っていなかった。

 

わたしは何かを失ってでも、自分の力で挑戦し、自分の責任で失敗し、自分の経験から学びたかったのだ。その学びに、ようやく終わりが見えた。

 

激動の二年間だった、と思う。

外面的にはともかく、内面的にはかなり揺さぶられた。

みっともない姿をこれでもかと晒した。未熟な行動もかなりやった。人に迷惑をかけまくった。不快な思いもさせた。呆れるほど非礼なことを、言ったりやったりした。

 

わかっててやったことだけど、自分が恥ずかしい。

それによって、傷つくことや、失うことを怖れなかったことだけは、褒めてやりたい。

 

正直、今の自分はあのときほど図々しく振る舞えないし、あのときのようにズケズケと人にものを言えない。あのときの自分は、我ながら恐れを知らない戦士のようだった。アンインストールしようとしていたからか。今までの自分を。

なんか上手いこと言えてる気がするんだけど、ひょっとしたら本当に、自分の中を削ぎ落そうとするとき(アンインストールするとき)、人は勇敢になるものなのかも知れんよ。(勇敢というより、蛮勇の方だったけどさ)

 

アンインストール

アンインストール

 

 


石川智晶 LIVE 2015年1月「アンインストール」

 

 

でも、こうも思う。

何も持たないわたしだからこそ、何でも創造できるんじゃないか、と。

ゼロである、ということは、創造性の塊だ。今、目の前に真っ白なキャンパスが用意されていて、何を描くのも自由。そう言われている気がする。そして、何でも描ける、と思っている。今のわたしなら。

 

いちど自分の全てを壊して、これから再構築の段階に入ったのだ。

 

全て壊して、何もかもなくして、今のわたしは真っさらだ。

これからまた積み上げていく。何もないからこそわかる。今の自分には何が必要なのか。何が欲しいのか。どんなものが好きなのか。どんなところに居たいのか。

好きなものと、欲しいもの。それだけを選んで構築していく。

 

今がゼロだから、余計なものはなにもない。

好きなように世界を作れる。好きなように彩れる。

ゼロだからこそ無限だ。

 

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