副業魔女の私小説

人間として正しく生きるより、一匹のいきものでありたい。

手帳術について話すつもりが、わたしがいかに人として終わってるかという話になってしまった。

世界は「手帳術」で溢れている。

 

曰く、素敵な女性、活躍している女性、輝いている女性はみな手帳を持ち歩き、手帳を使いこなしている。らしい。事実、わたしの周りにいる活躍している女性たちはみな、独自のノート術を編み出していて、その人らしくノートを活用している。そして、持っているノートもおしゃれで素敵だ。美しい人はそういうところから美しい。

それは大変、人として、女性として憧れる限りなのだが......残念ながら、わたしは手帳を活用出来たことが、ただの一度もない。

 

最初に断っておくと、わたしは手帳が大好きだ。

本屋や文具店の手帳コーナーに行くと、ときめきが止まらない。デザインが可愛いのが多いし、最近ので言えば、表紙が黒猫になってて耳が飛び出たりしてるやつ。ああいうのマジ可愛い。あと、やたらゴージャスで、側面に金箔コーティングしてあるようなやつ。あれも好きだ。持ってるだけで、ハイクラスな女性になれた気がする。

 

なんたって最高なのは、コピーライターの糸井重里さんが代表を務めるほぼ日刊イトイ新聞から発売されている「ほぼ日手帳

あれほどユーザーのことを考え、とことん使いやすく、書き心地や、めくりやすさ、後からもう一度見直すときにまで配慮して、こだわり抜いて作られた手帳はない。どんな人にも使いやすくて、人によって様々な使い方ができ、「自分ナイズ」することのできる手帳。それがほぼ日手帳の素晴らしいところだ。

......ええ。使いこなせたこと、ないんだけど。

 

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むー。

 

そもそもわたしはメモを取る習慣がないんだ。

基本的な考え方が、「覚えておけないものは、覚えておく必要のないもの」だからである。自分に必要な情報というのは、どういう形であれ、必ず自分の中に残るもので、それ以外の情報は努力して残す必要はない、と考えている。これは、自分の記憶力と情報選別能力に、若干の過信がないとも限らないけれど、基本的には「印象に残らなければそれまで」だ。

 

情報に限らず、物でも人のご縁でも何でもそうなんだけど、必要なものは手元に残り、そうでないものは離れていくものだと思っている。だから躊躇なく捨てるし、人に執着しないし、後に残すために何かをしない。それでなくなるなら、それでいいと思っている。(そして、必要なものというのは、捨てた後でも不思議と必ず戻ってくる。あるいは、捨てたはずなのになぜか手元にある、という現象が起こる。ベヘリットか何かのように)

 

ベルセルク ベヘリット 2013Ver. 蝕

ベルセルク ベヘリット 2013Ver. 蝕

 

 

根本的に、わたしは「後に残す」という発想がないんだよね。日記もつけないし。というかわたしは、「毎日欠かさず何かをやる」ことが出来ない。日課とか、継続、とかが何より苦手な人間なのだ。だから日記なんて、つけようと思ったその日のうちに忘れる。そして、何か一つでも長く続いた試しはない。だからもう、いい加減その辺は諦めている。

 

それと関連するのかどうかわからないが、わたしは「予定を立てる」のも嫌いだ。こちらは苦手じゃなくて嫌いだ。 

世の中には、スケジュールが埋まっていないと自分が必要とされていないようで不安になる、という人も多いようだが、わたしは逆だ。スケジュールが埋まるほど、ストレスを感じてしまう。

 

まず、わたしは先のことを考えるのが好きじゃない。

夢や展望を広げるのはいい。そうではなく、例えば3日後にはここに行く予定があるから、それに合わせて今日はこれをしよう。とか、そのためにこれは別の日に回そう。とか、明日は何時に起きるから、今日は何時までには寝よう。とか、そういう「未来の予定に合わせて現在の行動を調整・制限する」のが、とんでもなく苦痛なのである。

 

基本的に、わたしはその日、そのときの気分だけで動きたい人間だし(何時に起きるとか寝るとかも含めて)、そのため、スケジュールが埋まっていると、それだけ多くの制限を抱えているように感じてしまう。耐えられるのは、せいぜい週に3日くらいだ。そして理想を言えば、週に3日ほど予定を入れたら、次の週は丸々一週間休みたい。それくらいわたしは予定と、それに拘束されることが嫌いだ。

 

 

逆に言うと、わたしは暇が大好きだ。

世間一般的な価値観で言うと、暇は辛く苦しいものらしく、SNSなどで「ひま〜」と呟こうものなら、それは「時間が空いて苦痛だから誰か誘ってくれ」という意味になるようだが、わたしにとって言えば、「暇」とは「わたしは暇な時間を満喫しているので、どうぞ邪魔をしないでください」という意味になる。

 

当然、誘いが来れば断る。向こうからしたら「暇なのに何故」って感じだろうが、まさに「だが断る」という感じである。わたしにとって「暇」とは、「スケジュールの空き」ではないのだ。「暇という予定」なのである。

 

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ひま。

 

ときどき自分でも、わたしはどうしてこうも軟弱なのだろう、と自己嫌悪することがある。 

実際誇張でも何でもなく、週に3日以上動けば疲れて別の日に休むことになるし、一日に2つ以上の予定を入れるとパンクする。まあ、わたしは人一倍我慢が効かない体質で、というかそもそも「我慢」そのものが嫌いなので、我慢できないというより、我慢したくないからしない、という、まさに人として終わってる感じなんだけれども。

 

思うに、わたしはスケジュールをこなすときだけ「人間スイッチ」を入れてるんじゃないだろうか。

ご存知の通り、わたしは「どうぶつ」を自称してる人間だ。(変な言い方になるけれども)そしてこの通り、普段のわたしはほぼ「どうぶつ」として過ごしているわけだが、スケジュールをこなすときだけスイッチを入れて、「にんげん」をやっている。これがなかなか体力・精神力を使うので、人より消耗が激しいのだと思う。変身の下手なタヌキが、頑張って人に化けて里に降りてきた、みたいな感じ。

 

 

とはいえ。

批判を恐れずに言おうと思う。

本当のことを言うと、わたしは今まで、自分は「にんげん」をやるのは辛いけれども、他の人はそうでもないのだろうと思っていた。

例えば、わたしとっては早起きはとても難しいことだし、毎日同じ時間に満員電車に揺られて出勤するなんて到底耐えられないことなんだけど、他の人にとってはそこまででもない、習慣にしてしまえばどうってことないことなのだろう、と思ってきた。

 

しかし、最近とても久しぶりに「会社勤め」というものを経験してみて、会社員をやっている人の本当に多くが、身体のどこかを病んでいるという事実を知った。女性の多くは婦人系の病気を患いながら、痛みに耐えて仕事をしている。男性の多くも、睡眠不足で年齢の割に顔色も肌の調子も悪く、むくんだ顔で仕事をしている人が多いと感じた。

 

毎日出勤する。必ず決まった時間を守る。時間内は同じ場所に留まり続ける。会社の決まりは守る。上司の言うことは聞く。嫌なことは我慢する。感情は出さない。前日の仕事が何時に終わっても、次の日の朝は同じ時間に出勤する。遅刻はしない。そのため、食事や睡眠の時間をコントロールする。

 

これらは、「人として当たり前」のことなのかもしれない。

 

だが、それを守るために多くの人が健康を損なうのなら、それは人として正しくても、生き物としては正しくないことなのではないか。いや、そのために体調管理はしっかりするのが社会人としての務め、なのかもしれないけど、この場合の健康は身体だけを指さない。心の健康も含めてだ。心身のどこかしらに不調を負いながらでなければ出来ないことなら、それは「自然」ではないのではないか。そう思えてならない。

 

それでも、そうしている人はそうしなければならない理由があるのだろうし、ご本人がそうしたくてしてる場合もあるだろうから、他人のすることに対して、わたしはとやかく言うつもりはない。(し、その資格もないだろう)

 

ただ、わたし個人の場合に限って言えば、わたしはそこまで心身に負担をかけてまで、自分を傷つけ、苦しめてまで「まともな人間」をやろうとは思わない。それが出来ないならお前は人間として失格だ、と言われるなら、もう失格で構いません。変身の下手なタヌキで充分です、と思ってしまう。

 

そんなわけで、わたしは今日も、ちゃんとした「にんげん」であることは、もう諦めて生きている。

 

……あれ。手帳術について話すつもりが、わたしがいかに人として終わってるか、という話になってしまった。

これもまあ、一種の自己紹介です。

 

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