副業魔女の私小説

人間として正しく生きるより、一匹のいきものでありたい。

人を救いたくて生きていた。

 「なぜ生きるのか」と、生きる理由を問われたら、「特に死ぬ理由もないから」と答えるくらいには、今のわたしは生きることに消極的だ。

f:id:asaming0729:20170607230829j:image

 

数年前のわたしはそれこそ、人を救いたくて生きていた。

 

自分に「生きがい」と言えるものが欲しかった。

こどもを教えること、それで自分に自信を持ち、前向きなこどもが増えること、子育てが楽になるお母さんが増えること。それがひいては、日本の未来を良くすることになると思っていた。それが自分の使命だと思っていたし、何か「使命」を持った自分になりたかった。

 

それまでの自分に、あまりにも自信がなさすぎたからだ。

大学を途中で辞めてしまったから学歴もなく、仕事が続いたことがなく、キャリアと言えるものもない。技術も、資格も、経験もない。なんにもない自分。

そういうものを持っている人が、価値ある人間だと思っていたから、それらに変わるものが欲しかった。なんにもない自分を、他の価値ある何かで埋めたかった。

 

それが、わたしにとっての「使命」とか「天命」と言われるものだった。

使命や天命に生きていれば、自分に価値が生まれると思っていた。すごい自分に、人から尊敬される自分になれる、と思った。だから、いつも誰かに感謝されたかった。「あなたのお陰です」と言われた分だけ、自分の価値が増えると思っていた。

 

だから尽くした。尽くしまくった。生徒のために、保護者のためにできることは何でもした。時間も厭わず、どんな相談にでも乗ったし、どこへでも出かけて行ったし、求められる結果は確実に出してきた。家庭教師時代の、わたしの生徒の成績アップ率も志望校合格率も、共に100%だ。結果を出さなかったことは一度もない。

 

何せ、それで自分の価値が決まってしまうと思っていたから、結果を出せないことが恐くて仕方なかった。わたしは縋っていたのだと思う。「先生のお陰です」「感謝しています」と言われることに。

だから、結果を出したのに感謝されなかったりすると、わたしの中には不満が溜まった。こんなにしてあげたのに、といつしか思うようになった。もはや感謝されることは、「目的」というより「生きる糧」みたいになっていた。

 

そうこうしていたら、ある日わたしは「お前のせいで」と罵られることになった。「お前のせいで自分は不幸になった」と。

ちなみに、この相手は生徒でも保護者でもなく、言ってみれば「無関係」の人だ。個人のプライバシーの問題があるので、詳しいことは語れないが、わたしはその人から一方的に罵倒された上、その後手首を切ったという報告を受けた。

当時、そこで冷静でいられた自分を褒めてやりたい。結構な衝撃だった。

 

f:id:asaming0729:20170607230954j:image

 

当時のわたしは、どうしてこんなことになってしまったのだろう、と戸惑うばかりだったけれど、今ならわかる。「あなたのお陰」と感謝されることを、生きる目的にしてしまったからだ。

「あなたのお陰」は、簡単に「お前のせい」に変わる。

このふたつは表裏一体...というより、イコールだ。自分が原因で、相手が幸せになれば「あなたのお陰」不幸になれば「お前のせい」相手の状況の原因を「自分」にしている以上、このふたつは相手次第でいくらでも入れ替わる。

 

「幸せにしてあげたい」は「幸せにできなかった」を生むし、「助けてあげたい」は「助けてもらえなかった」を生む。

わたしは、大事なことがわかっていなかった。

「幸せにしてあげたい」と思う時点で、わたしはその人を「不幸な人」にしてしまっていること。「救ってあげたい」と願うことは、その人を「救われていない人」にしてしまっているということ。

 

だから、誰かを救いたいと願うことは、不幸な人を生み出すことになるんだ。

ある決定的な出来事があった。

カウンセリングをしていたとき、数回目のセッションで「なんか、色んな方の本やブログを読んでいたら、だんだん気持ちが楽になってきたんです。楽しいことが増えましたー」と、にこにこ笑うクライアントを見て、わたしは物足りなさを感じたのだ。

 

ーーえー、そんな簡単に楽になられたらわたしの仕事がなくなるじゃん。

ーーていうか本やブログって何? だったらわたしのカウンセリング受ける必要なくない? そんなの見なくていいじゃん。あたしの話を聞こうよ。

 

そんな声が自分の中から聞こえて、わたしは心底やばい!!と思った。

わたしは、この人に不幸でいて欲しがっている。わたしのお陰で助かって欲しいから、他の人やものから遠ざけようとしている。この人を自分に依存させようとしている......!

 

その思考に気づいて、わたしは青ざめた。何を考えてるんだろう。人を自立させることを目的としていたはずだったのに。共依存なんて一番嫌いで、一番避けたい関係のはずだったのに。気がついたら、逆をやっている......

 

f:id:asaming0729:20170607233028j:image

 

要は、わたし自身が自立なんかしていなくて、「人を救う」ということに依存していた状態だったんだよね。「人を救える自分」という立場に依存してた。

 

そのためわたしは傲慢になり、自分の力を過信してしまった。同時に、相手を弱い人に仕立ててしまった。相手が自分で立ち上がる力と意欲を奪い、相手の領域に踏み込み過ぎてしまった。上に書いた事件は、そんなわたしに対する戒めだったのだろう。

 

大事なことは、その人が楽になることで、悩みが消えることで、幸せになることだ。そのきっかけは様々で、たまたま目についた本やブログのときもあれば、人と話した内容のときもあれば、著名人の講座やセミナーのときもある。空を見上げた瞬間だったり、何かよくわからない何かのタイミングだったりもする。

わたしがその人のために何かしようが、しなかろうが、その人はその人のタイミングで勝手に癒されるし、勝手に救われる。大事なのはそういうことなんだと思う。

 

他人の人生に対して、わたしは何も関与できない。

わたしの力で人を幸せにはできないし、不幸にもできない。

だから、「わたしのお陰」もなければ、「わたしのせい」もない。

けれど、それを求める思考は、その現象を生み出してしまう。

 

だから、その世界から抜けようと思った。

 

今のわたしは、誰のことも救おうとしていないし、誰の役に立とうともしていない。自分の幸せと、自分のしたいことだけを追求して生きてる。

見方によっては、この生き方は人非人と言われるのかもしれない。

人として正しくはないのかもしれない。

でも、あのときの自分に比べると、今の自分の方が遥かに、精神的に健全だと思えるんだよね。

 f:id:asaming0729:20170608005739j:image

らぶ♡

 

何かのために生きなくていい。

誰かのために生きなくていい。

人生に「生きがい」も「使命」もいらない。

 

実は、そうすると生きることが割と退屈というか、暇な感じになるんだけどw

今はそれでもいいかな、と思っている。 

 

……………………………………………………

facebookhttps://www.facebook.com/asamitoda0729

mail:asamingworld@gmail.com

……………………………………………………

「救われるべき人」なんて、この世にいない

f:id:asaming0729:20170516041040j:image

2年前、7年間従事してきた教育の仕事をやめた。

それを発表したとき、何人かの友人から言われたことがある。

「朝海さんなら、もっと多くの人を救えるのに(もったいない)」

という言葉だ。

 

わたしはこの言葉に、ふたつの違和感がある。

 

ひとつは、救いたい人がいるなら、自分で救えばいい、ということだ。

「多くの人を救えるのに」という言葉から察するに、彼女たちには「救われるべき多くの人」が目に映っているのだろう。その人たちを救いたい、という想いがあるのなら、なぜ自分で救おうとしないのだろう? なぜ自分で動こうとはせずに、わたしの働きに託そうとするのだろう?

 

あるいは、自分ではできないというのなら、わたしの元にその人を連れてきたっていい。この人を救って欲しいんです。朝海さんにお願いしたいんです、という手段だってあった。しかし、そういうことをする素振りは全くなくて、わたしが辞めると言ったとたん、「あなたに救って欲しい人がいたのに」「残念だ。辞めないで欲しかった」という言い方をしてくる。

 

これは一体どういうことなんだろう?

 

ーー救いたいのは誰なのか。

f:id:asaming0729:20170516041145j:image

で、それがふたつめの違和感に繋がる。

つまり、その「救って欲しい人」とは、実在しているのですか? ということだ。

おそらく、実在はしていないんだと思う。彼女たちのいう「多くの救われるべき人たち」は、具体的な誰かではなく、彼女たちの脳内でだけ見えている虚像なんだろう。

 

じゃあ、その虚像の正体ってなんなん? という話になるのだが、それは彼女たちが必ずワンセットで発言してくる言葉の中に、ヒントがあるように思う。

「わたしがこどもの頃に、朝海さんのような先生に出会いたかった」

わたしに上のような言葉をくれた人たちは、全員が同じように、この言葉を口にしている。こどもの頃に朝海さんに教わっていたら、わたしはもっと幸せだったのに。もっと楽しい学校生活が送れただろうに。

 

そう言ってもらえることは、心から光栄に思う。

 

でも、おわかりのように、彼女たちは全員、こども時代が楽しくなかった、不幸な学校生活を送っていた、と感じている人たちだ。だからこそ、そんな自分と同じように不幸な思いをしている、楽しんで学校生活を送れていないこどもたちの存在に意識が行き、それをわたしに助けて欲しいと願うのだろう。それは悪いことではない。

 

しかし、ここで考えなければいけないことがある。

彼女たちが救いたいのは、救って欲しいと願っているのは、本当は誰なのか? という点だ。

 

彼女たちが救いたいのは、こども時代の自分自身だ。

 

こども時代に、学校でいい先生に巡り会えず、クラスに馴染めず、勉強が嫌いで、傷ついていた過去の自分自身。その傷がまだ癒えていないから、同じような傷を持っているであろう「誰か」を探してしまう。その人を癒そう、救おう、としてしまう。けれど、それは順番が違う。

 

f:id:asaming0729:20170516041518j:image

自分が傷を抱えたまま、他人を何人癒しても、あなたの傷は癒されない。同じような境遇にいるこどもを、わたしが何百人、何千人救おうと、あなたの中にいる小さなこどもは救われない。

だから、わたしに誰かを救って欲しい、なんて、最初から的外れなんだ。

あなたが本当に救いたいこどもは、外の世界にはいない。そしてその子は、あなた以外の誰にも、救うことはできないんだよ。

 

だから、もしあなたに「救いたい誰か」がいるなら、その救いたい相手によく似たかつての自分自身を、まずは救ってあげて欲しいなと思うんだ。救うなんて大げさな言い方だけど、要は「その人にしてあげたいこと」を、自分にしてあげることだ。だってそれは、かつての自分が、誰かにして欲しかったことのはずだから。 

 

自分の中にいるこどもの声に、耳を傾けて。

なにが悲しかった?

なにがしたかった?

なにを言いたかった?

なにを言って欲しかった?

それを全部、今の、大人の自分が叶えてあげよう。

 

頭の中にいる、普段の「分別ある大人の自分」には、いったんご遠慮いただいて、無邪気で大人げないこどもの自分を、思いっきり喜ばせてあげよう。その、無邪気で、分別がなくて、未熟で大人げなくて、みっともなくて、どうしようもない、そんな自分を許そう。そんな「こどもの自分の存在」の居場所を、自分の中に作ってあげよう。 

 

自分で自分を安心させて、自分で自分を許して、自分で自分を認めて、自分で自分を褒めてあげて、自分で自分を勇気づけてあげて。それはきっと、あなたが誰かにしてあげたかったこと。それを全部、まず自分にしてあげるの。

 

そうやって、自分自身がが安心して、喜んで、幸せになったら、その目で改めて周りを見て欲しい。

「救われるべき人」なんて、この世にいないとわかるから。

全ての人が、自分で自分を救えるのだとわかるから。自分が救えるのは、自分だけなんだと、わかるから。

 

ーー救われるために救おうとするのは、終わりのない無限地獄

とりあえずね、身の上話をしながら涙を流してしまうような人は、人を救うとか考えない方がいいよ。人を救うことで自分が救われようとするとか、人を救える自分になることで自分に価値を見いだそうとしてしまうのも、たいへん危険よ。

 

それは、自分の世界に不幸な人(不幸に見える人)を量産してしまうだけだし、そんな動機で人をどれだけ救っても、終わりはないからね。自分を磨り減らすだけよ。

 

f:id:asaming0729:20170521002028p:image

この人と同じ闇に堕ちるでよ。

※この人とは→アーチャー(Fate/staynight) (あーちゃー)とは【ピクシブ百科事典】

 

この人のことは、わたし死ぬほど好きだけどね(笑)

「全ての人を救いたい」という理想の前に、この人はまず、たったひとりの自分自身を救ってあげたらよかったんじゃないかなと思うよ。殺そうとするのではなく。

 

ただUBWの結末を見るに、結果的に彼は救われたように感じる。

過去の自分を肯定することで、今の自分を癒すのがインナーチャイルドヒーリングなら、この人の場合は、過去(現在)の自分から肯定されて今(未来)の自分が救済された、逆インナーチャイルドヒーリングだな、と思った。

作中でも言われているように、魂の世界には時間の流れ(過去→現在→未来)は存在しないらしいから、こういうこともアリなんだなあ、とスピリチュアル目線で感動しました。

……………………………………………………

facebookhttps://www.facebook.com/asamitoda0729

mail:asamingworld@gmail.com

……………………………………………………

 

【コスプレ写真館】〜魔女の館〜

趣味のコスプレ写真館です。

既存のキャラクターになるのは今のところ興味がないので、オリジナルキャラを創作してます。今回は和服の魔女。

 

f:id:asaming0729:20170505215855j:image

 

CLAMPのxxxHOLiCKに出てくるキャラに似てる〜って言われたんですが、偶然似ちゃいました。CLAMP大好きなのですがxxxHOLiCは未読なので、これを期に読んでみよっかなあ、なんて。

 

f:id:asaming0729:20170505220032j:image

 

髑髏を愛しげに見つめる魔女。

それはかつて愛した男の躯か。悠久を生きる魔女は、愛する者と最後まで添い遂げることはできない。しかし肉体が失われても想いは残る。男が生きていた確かな証であるその躯と、魔女は永遠に生き続け、心で会話を続ける。

 

f:id:asaming0729:20170505220012j:image

 

よく見ると、あと2人いますね…

これは誰なのかな、って考えたんですけど。

代々魔女に愛されてきた歴代恋人、という説もあり、あるいはひとりの人間が転生を続けた姿、という説もあります。

魔女と愛し合い、一度めの人生を終え、転生した先で、時代も人種も国籍も越えて再び魔女に出会い、また愛し合う。そしてまた...と、何度も転生と出会いを繰り返してきているのです。そういうのもありかな。

 

f:id:asaming0729:20170505220318j:image

 

使い魔の鴉と語る魔女。

何らかの報告を聞いているのか。かつて愛した男を小脇に抱えて。かつての恋人に対する扱いが、だんだん雑になってきているようにも思える魔女様です。

 

f:id:asaming0729:20170505220152j:image

 

かつて愛した男、もはやひとり足元に転がってます。

この方が生前、恋人にどんな扱いをしてきたのか、若干疑問に思えて参りました。

 

f:id:asaming0729:20170505220604j:image

 

今回、撮影をしてくださったのは、浅草にある着物写真館

変身写真店BIKAさんです。

henshinbika.com

 

ポップでおしゃれな衣装とセットで、センスある独特な空間を作り出してくれる写真館です。こちらの希望も丁寧に聞いてくださり、豊かにイメージを膨らませ、かたちにしてくれます。大変お世話になりましたー 

衣装やセットなどの希望も、大変細かく聞いて下さいました。ありがとうございます!

和服だけでなく、ドレスの方ももうすぐ準備ができるそう。

世界観のある写真を撮りたい方、一風変わった個性的な衣装で撮影したい方、かわいい和服着たい方、おすすめですよー♡

 

……………………………………………………

facebookhttps://www.facebook.com/asamitoda0729

mail:asamingworld@gmail.com

……………………………………………………

身を隠せる安全(匿名)を取るか、自分を証明できる自由(実名)を取るか

ここ半年ばかりの間、SNSからはずっと距離を置いていた。

 

アプリの不調で、一時的にFacebookにログインできなくなってから、なんとなくSNSそのものを見ない、書き込まない生活にシフトしていった。仕事で使う必要もなくなっていたし、ただ雑談を書き込むのみだったので、特に不自由は感じなかったが、一抹の寂しさはある。

 

そこで一時期、匿名掲示板を利用していた。

そう、誰もが知るあの巨大掲示板......と、別に伏せる必要性も感じないので言ってしまうと、2ちゃんねるである。

2ちゃんねるというと、家に引き蘢った社会不適合者が日頃の恨みつらみや鬱憤を吐き出し、人を口汚くディスりまくる場のように思っている人も少なくないが、別に2ちゃんねるはそれだけの場所ではない。(そういう人もいる)

 

2ちゃんねるの基本理念?は「便所の落書き」であって、誰が書いたのかわからない便所の落書きにも、誰それを呪ってやるみたいな物騒なものから、A君と両思いになれますように♡みたいな微笑ましいものまであるように、要するに顔のわからない誰かが書いた無責任な書き込みの寄せ集めである。だから内容は玉石混淆で、本当に目を背けたくなるような口汚い書き込みもあるが、ものすごくためになるものや、めちゃくちゃ笑えるもの、ほっこりと胸が温まるエピソードもあったりする。Twitterでたまに回ってくる「泣ける話」なんかは、割と2ch発祥のものも多い。

 

かといって、別に2chは素晴らしい場所ですよ、なんて言いたいわけでもなく、やっぱり2の基本は「便所の落書き」であって、粗悪な石の割合が9割の玉石混淆なのが前提だ。しかし、ある程度の情報リテラシーさえあれば、それなりに楽しめる場所ではある。(だからって別におすすめはしないよ)

 

ーー匿名は仮面にあらず

f:id:asaming0729:20161218035351j:plain

 

前置きが長くなった。

普段わたしはFacebookやブログなどのSNSは、すべて本名で顔を出し、完全に素性を明らかにして投稿している。だから今回は、匿名での投稿と、名前と顔を出して投稿すること、それぞれでわたしが感じた違いについて、話していきたい。

 

わたしは普段顔出し名前出しで発信しているけれども、匿名で書き込むことにマイナスイメージを持っていない。匿名での書き込みというと、思い出すのは俵万智さんのこの短歌だ。

 

匿名は 仮面にあらず 名を伏せて 人は本音を 語り始める

 

これは、俵万智さんが不妊治療をなさっていた頃、匿名のコミュニティで相談していたときのことを綴ったものではないか、と言われている。(真相は知らない)

 

確かに、こういったデリケートな話題を、有名な方が顔出しで発信したとしたら、個人的な話題や相談の域を逸脱してしまうかもしれない。不特定多数の人に知られることによって、望まない不利益を被るかもしれない。有名な方でなくても、知られたくない事情というものはある。やましいことではないが、公にしたくない話題もある。そういうとき、匿名でいられる場所というのは、安心を生むのだと思う。

誰の目も気にせず話せる場所が、必要な人もいる。リアルでもネット上でも、そういう場所はあった方がいい。

 

ーー匿名であることの不便

ところで、わたしは本名で顔を出して発信することを、実際に始めてみるまで大変恐れていた。理由は、批判や攻撃にあったときに、逃げ場がなくなるような気がしていたから。矢面に立つ恐怖だ。匿名なら、他の匿名の群衆になんとなく紛れ込むこともできるだろうが、名前を出せば、攻撃の手は「戸田朝海」個人に向かってくる。それが恐くて仕方なかった。

 

しかし、実際に匿名の場所で書き込みをし、住人とやり取りをする中で感じたのは、「匿名であることの不便」だった。

 

確かに、匿名だと無責任にどうでもいいことを書き込める気楽さはある。ただ、無責任にどうでもいいことなら、わたしは顔と名前を出しながらでも書くので、あまりそこに利点はないのだけどw

ただ紛れ込める良さはある。数時間後には、誰が書いたものかわからなくなるから、本当に発言に責任なく書ける。次の日には別人のような顔をして、反対のことを言ったって、誰にもわからない。

 

ただ、それこそが不便さでもある。

「誰が書いたのかわからない」ものだから、発言に一貫性を持たせにくい。1人との連続したやり取りでならそれも可能だが、別々の人間と、例えば3人の人間と別にやり取りした3つの書き込みは、全てわたしの発言だが、傍目には別の人間による独立した3つの書き込みと見なされる。

 

少なくとも3つくらい同じ人間の書き込みを見れば、「この人はどういう考え方を持っていて、どういう人間であるか」が、うすうすとは掴めるだろう。だからその分、対話の内容を深められると思うのだが、一つ一つの会話を独立させてしまうと、相手の意図や発言の背景が見えず、どうしても会話が表面的なものになってしまう。それがちょっと、つまんないなーと感じた。(まあ、2chで深い会話をしようとする方が間違ってるんだろうね)

 

ーー身を隠せる安全を取るか、自分を証明できる自由を取るか

f:id:asaming0729:20170403022412j:plain

 

そして、もう一つ。

それは、憶測による批判や誤解に対して、反論が難しいところだ。

会話のやり取りをしていくと、ぶつかることもあるし、食い違うこともある。それは別にいいんだけど、問題はわたしの発言に対して、勝手な憶測で反論されたり、誤解されていたりするときだ。

 

例えば、なんだけど。よくあるのは「こういう発言する人って、こういう人なんじゃない?」みたいなのね。これって、こちらが素性を明かしていれば、起こり得ない会話なんだ。だって最初から「こういう人」の部分が明らかだから。推測の必要がないから、邪推もされない。

自分の顔と名前とプロフィールを明らかにしていれば、「この人はどうせこんな人物だよ」と邪推されることはない。誤解されても、プロフィールページや過去記事を見せれば、わたしがどんな人物かはわかってもらえる。もちろん偽装できるから、信じない人もいるだろうが、それでも完全な匿名よりは遥かに説得力が高い。

 

匿名の環境では、こうした邪推や憶測に対して、自分を証明する方法がない。簡単に嘘がつけるし、それが真実であると証明する方法がないからだ。そして、簡単に他人に成り済ますこともできる。顔が見えない、ということが、そのまんま、窮地にもなる。

 

難しいものだなあ、と思った。

匿名であること、実名であること。どちらにも利点があり、欠点があるのだと思う。どちらが正しい、間違い、でもない。それぞれで、何を必要としているか。あとは好みだと思う。自分が何のために、どんなコミュニケーションを求めるのか、だ。

 

その上で、わたしは名前を伏せて、自分が何者かわからなくして話すよりも、素性を明らかにして、顔の見える相手と話す方が楽しいと思った。楽しいし、楽だ。隠れていないということは、隠す必要がない、ということだから。わたしという人間をわかってもらった上で話す方が、よけいな説明を省けていい。これはわたしの好みだ。

わたしは、身を隠せる安全よりも、自分を証明できる自由を選びたい。

 

(でもよく考えたらわたし、まだちゃんとしたプロフィール書いてなかったね)

 

プーさんの鼻 (文春文庫)

↑引用した短歌は、こちらに収録されています。

 

……………………………………………………

facebookhttps://www.facebook.com/asamitoda0729

mail:asamingworld@gmail.com

……………………………………………………

人間として正しく生きるより、一匹のいきものでいたい。

エイプリルフールなので、嘘っぽいブログタイトルで始めます。

魔女を名乗っていますが、魔法は使えません。

最初の記事というのは、毎度何を書けばいいのか迷います。ひとまずは、わたしのことを初めて知る方のために、自己紹介代わりに好きなものを列挙していきます。

 

自己紹介と好きなものあれこれ

f:id:asaming0729:20161218042224j:plain

 

本名:戸田朝海(とだあさみ)

生年月日:1981年7月29日

年齢:現時点で35歳

職業:不定

住所:東京某所

血液型:O型

星座:獅子座

動物占い:コアラ

数秘術:1

..................

 

好きな場所:下北沢、表参道、海、公園、神社

好きな色:赤、ピンク、ゴールド、黒、レモンイエロー、オレンジ、紫

好きな動物:全部。特に犬

好きな犬種:ドーベルマン、シェパード、ゴールデンレトリーバー

好きな花:薔薇、ラナンキュラス、ガーベラ、カーネーション

好きな果物:桃、梨、スイカ、メロン

好きなハーブ:クレソン、ルッコラ、ミント、パクチー

好きなテイスト:大人系エレガント、ゴシック、姫系

好きな素材:シルク、サテン、ベロア、レース、ファー、レザー

好きな時間:睡眠時間、ぼーーーーーっとしてるとき

好きな本:アルケミスト

好きな作家:中山可穂梨木香歩氷室冴子

好きなアーティスト:石川智晶

好きな石:ルビー、ターコイズ、ラリマー、レムリアンシード、ブラックスター、スターサファイア、ブラックオパール

好きな占術:占星術、タロット、数秘術、手相、夢占い、オーラソーマ

好きな漫画:少年漫画

好きなアニメ:ロボットもの、能力バトル、ダークファンタジー、戦争もの、歴史系、少年スポーツ(トンデモなやつ)

好きな雑誌:ヤングジャンプ

好きなゲーム:アクション、戦略、RPG音ゲー

好きな温泉:早朝と真っ昼間と真夜中の露天風呂

好きなパンケーキ:レインボーパンケーキ、voivoi、プランピーパンケーキス、クリントン・ストリートベーキングカンパニー、幸せのパンケーキ、他多数

好きなパン:バタートースト、クロワッサン、キッシュ、フレンチトースト

好きなカフェ:ナチュラルシンプルな雰囲気で、人が少なくて、ぼーーーっと長居できて、珈琲とスコーンの美味しいお店

好きな時間:夕方から夜にかけて

好きな空:日が沈みきる直前、オレンジから群青にグラデーションしていく空

好きな月:新月から二日目の、三日月よりも細い金色の糸みたいな月

好きな三国志北方謙三

好きなFFシリーズ:4

好きなジョジョの部:正直決められない

好きなスタンド:スティッキーフィンガーズ、エアロスミス、バッドカンパニー

好きなガンダムシリーズ:サンダーボルト、鉄血のオルフェンズ

好きなMS:ガンダムヴァーチェ

好きな人外:九尾の狐、雪女、人狼、獣人系、アンドロイド、サイボーグ

好きな吸血鬼:カーミラ

好きな女神:伊邪那美命天照大神、弁財天

好きな属性:炎、闇

好きな天体:太陽、月、冥王星

好きな人間:自分にまっすぐ生きてる人

好きな言葉:

あなたが自信を持って、どのような状況も切り抜けていきたいと本当に望むのなら、他人の目にどう映るかを気にするのを完全にやめることです。失うものがない人間は、何も失うはずがありません。(by ジョナサン・ケイナー

..................

 f:id:asaming0729:20170403022412j:image

 

トリセツ的なもの

割と全方位に向けたオタクです。

漫画アニオタ歴と声オタ歴が特に長いです。占い、スピリチュアルはライフワーク的にいつも好き。最近はパンケーキがアツいです。

好きなもの以外はコツコツ続けることができません。

毎日同じ場所で同じ時間に同じことを繰り返すことができません。

通勤電車が大嫌いです。

締切という概念がありません。

睡眠時間は1日8時間以上必要です。

本当は半日くらいは寝ていたい。

アドリブに弱いです。

1日の予定は2つが限度です。

1人きりの時間がないと死にます。

暇を持て余す時間がないと死にます。

週休4日くらいがちょうどいいです。

結構な割合で社会不適合者です。

ストレート、かつシンプルなコミュニケーションを好みます。

余計な前置き、社交辞令、遠慮、クッション言葉は不要です。

面倒くさいので。

率直にお願いします。

率直でありつつも、相手への礼儀と敬意は大切に。

そんなふうに生きている人が好きだ。

わたしもそうありたい。

できるだけ正直でありたいなと思う。

自分も人も、物事も、できる限り真っ直ぐに見ていたい。

あさみさんて、ガラパゴス辺りにいる、進化から外れたいきものみたいだよね、と言われたことがある。

なんかわかる。

本当はいつも、動物のようでいたいと思ってる。

人間として正しく生きるより、一匹のいきものでいたい。

 

こんな感じなのがわたしです。

 f:id:asaming0729:20170403022331j:image

本業はどうぶつ。

 

……………………………………………………

facebookhttps://www.facebook.com/asamitoda0729

mail:asamingworld@gmail.com

……………………………………………………