副業魔女の私小説

人間として正しく生きるより、一匹のいきものでありたい。

【魂の物語】サンプル紹介

【魂の物語】サンプルの紹介です。

 

(こちらの記事で募集しているものです)

asaming0729.hatenablog.com

 

お名前と生年月日は伏せています。消し方が汚くてすみません。

このようなPDFファイルでお渡ししていましたが、現在は文書作成ができないため、メールでのお渡しになります。ご了承くださいませ。

 

 

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過去世、今世、これからの未来、という流れで、魂がどのようなストーリーを生き、成長していきたいと願っているのかを綴っています。

魂の持つ性質、生まれた目的、何を喜びと感じ、どのような癖があるのか、生まれ持った才能。そうした魂の特徴をお伝えしています。

 

それらを具体的にどのように現実に活かしていくか、現在のお悩みがなぜ生まれ、どのように解決すればいいかなど、詳しい話をご希望の方は、ぜひ対面セッションをお申し込み下さい。ゆっくりお話しましょう。場合によってはタロットも引きます。

 

お申し込みは以下のメールアドレス、またはFBのメッセンジャーからお願いします。FBは友達でないと、メッセージが承認されない場合がありますので、お友達申請からお願いします。よほど怪しくなければスムーズに承認します。

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常識がないから信用される。正しくないから安心できる。

塾講師、家庭教師、そして今は占い師と、変遷しているようだけれど、わたしのやっていることは、結局ひとつなのだと思っている。

 

人の話を聴くことだ。

 

今までずーーーーーーっと、やってきたことは、これだけ。

わたしは、人の話を聴く仕事をしてきました。

 

塾講師とか家庭教師とか、これらは能動的に教える、つまりわたし側が話し、伝える仕事だと思われているけれども、わたしのやってきたことは、概ね聴くことだ。話しを聴いてきただけ。それだけでいいのだ、とわかっている。何かを変えるのも、何かを身につけるのも、達成するのも、結局その人(当事者)がすることだから。わたしに何かができるわけじゃない。

 

すると、それってカウンセラーなんじゃないの? と思わないでもない。人からもよく、「朝海さんのやっていることは、どちらかというとカウンセラー寄りですよね」と言われてきたけど、何となくカウンセラーと名乗ることには抵抗があった。

 

で、たった今その理由に思い至ったんだけど、カウンセラーと名乗るには資格が必要だと思ってたからだ。でも今はむしろ、肩書きなんて何でもいいと思っているから、魔女でもどうぶつでも何でもいい。

 

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魔女。

 

 

ところで、わたしに話をしてくれる方が、ほぼ必ず言う言葉がある。

 

「こんなことを人に話すのは、初めてなのですが......」

「これは朝海さんにだから話すんだけどね......」

「この話、まだ誰にもしたことがないんだけど......」

「彼氏以外に話してない、親友にも話し辛いことなんですけど.......」

 

なぜか、こういう前置きをして話し始める方がとても多い。

こんな仕事をしてるからではない。上記は全て、プライベートか、今の仕事と関係のない場で言われた言葉だ。

 

そして実際に、とても...いや、かなりヘヴィーな打ち明け話をされることもある。あの、そんなことをわたしに話してしまって本当にいいのですか!? と、聞きたくなったことも多々ある。

 

それで、あるとき本当に聞いてみた。なぜ、そんな相談をわたしにしてくれたのですか?

返事はこうだった。

 

「朝海ちゃんなら、『常識がない』とか『普通じゃない』とかで批判したり、正論でジャッジしてきたりしないだろう、と思ったから」

 

実際その通りだ。

 

そういえば、わたしは中学生の頃からその傾向があった。

中学生のとき、当時の友人に好きな人を打ち明けられたのだけど、そのときにも言われた。

 

「戸田ちゃんは、驚くようなことを打ち明けても、いちいち大げさに騒いだり、ウソーーー!? とか言って来ないから、安心して話せるよね」

 

それもその通りで、なぜかと言うとわたし、当時から「普通」がよくわからない人だったんだ。

 

家が転勤族で、小さい頃から日本全国をかなり大きな距離で移動してたから、ある地域での「常識」が、別の地域では非常識になり、また別の「常識」に変わる、ということは当たり前だった。お陰で、小学二年生になる頃には、世の中に「普通」や「常識」など、存在しないことを知っていた。

 

ただ、そのために自分の中に「普通」という観念がなくなってしまい、つまり「驚くべきこと」と「そうでない(普通の)こと」の区別がつかなくなってしまった。

 

だから、何を聞いても「ふーん、そうなんだ」みたいな反応になってしまい、たまに周りの反応を見て、「あ、やべ。ここはもっと驚かなきゃいけないとこだったのか」と気付いて焦ることもあった。

この辺、わたしめちゃくちゃ宇宙人的だと思う。

 

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これはクラゲ。(クラゲって宇宙からの使者みたいな造形してるよね)

 

 

でも、わたしが聴き手として信用される理由がそこにあるのだとしたら、わたしが信用されるのは、常識がなく、正しくないからということになる。

 

これは面白いな、と思う。一般的に、常識がない人間は信用されない、正しくない人間は警戒される、と思われている気がする。それがわたしの場合、常識がないから信用され、正しくないから安心されていることになる。なんとも「非常識」な話だ。

 

 

みんな「正しくあれ」と教わってきて、正しくありたいと願っているのに。

「正しさ」の裏には、常に「間違い」があるものだから、みんな「間違ってる」と言われたくなくて、どこかで「正しさ」を恐れている。

 

だって、間違わない人間なんて、この世にひとりもいないでしょう?

 

みんな、常識に合わせるのに疲れて、正しさに辟易しているから、せめてわたしくらいは、正しさでものを言わない人間でいようと思うよ。(あ、正しくいるのが苦痛でなくて、好きな人はそれでいいんだと思いますよー)

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【魔女業】提供メニューについて。

占い師、という言い方もちょっと違うような気がしているので(違わないけど好みの問題)、【魔女業】と言い換えます。それに合わせて、プロフィール写真もそれらしいものに変更しました。

 

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よろしくお願いいたします!

 

ここでは、副業魔女として現在提供しているお仕事をご紹介しますね。

 

 

①【魂の物語】

数秘術を元に、あなたの過去世から未来へと続く、魂のストーリーをお伝えします。

 

魂は生まれて来る前に、どのような人生を送りたいのか、自ら決めてくると言われています。それが本当かどうかは、わたしにはわかりません。しかし、数秘で割り出される数字を拝見していると、そこには物語のように、ひとつのストーリーを感じることがあります。

わたしはそれを読み解き、物語にしてあなたにお伝えします。

 

過去世の物語については、数字と顔写真からリーディングし、わたしの感覚で読み取ったものをお伝えします。稀に、はっきりした過去世が読み取れない場合もございます。またあるときには、別の鑑定士の方に伝えられた過去世と全く同じものが出る場合も、あるいは、全然違うものが出る場合もございます。

魂は数え切れないほど多くの過去世を経験していると考えられており、わたしが読み取るのは、そのうちのひとつだとお考えください。

 

※本来は文書にして差し上げておりますが、現在ワードが使用不可能なため、メール本文にてお送りさせていただきます。

※メールアドレス、お顔のわかるお写真の添付をお願いしております。

(鑑定料:3,000円)

 

サンプルはこちら ↓ ↓ ↓

【魂の物語】サンプル紹介 - 副業魔女の私小説

 

②【魂の物語】+対面セッション

上記の【魂の物語】のご提供に加え、対面でより具体的なご相談にお答えするセッションです。実際の生活やお仕事に数秘を活かしたい方や、具体的に解決したいお悩みをお持ちの方には、こちらの方がおすすめです。

 

お悩みの表面的な部分でなく、本質部分まで掘り下げてお話を伺います。そのため、お心が大きく揺さぶられたり、現状の破壊とも言える大きな変化、強烈な覚醒が起こる場合がございます。

 

具体的には、結婚を考えていたパートナーとお別れすることにした、一生続けると思っていたお仕事を辞める決断をした、新しい何かを始めることにした、などです。ただし、それによってもっと良い関係になった、本当にやりたいことに挑戦する勇気が出た、などであり、不幸になったわけではありませんので、ご安心ください。

 

惰性を止め、本当にやりたいこと、心が望むことを自覚することになります。そのため、どうしても現状が大きく動きます。変化を望まない方には、おすすめできないセッションです。何かを変えたい方は、ご利用ください。(決めるのはご本人であり、わたしが決断や行動を強制することはありません)

 

※恵比寿近郊のホテルラウンジで行います。(詳しい場所はお申し込み後にお伝えいたします)

(鑑定料:18,000円)

(【魂の物語】を購入いただいている方は15,000円)

 

 

【申し込み方法】

以下のメールアドレスよりお申し込み下さい。

または、FBでお友達申請をいただき、メッセンジャーからご連絡いただいてもOKです。(大体どなたでも承認しております)既にお友達の方は、どちらでもお気軽にご利用くださいませ。ご連絡お待ちしております。

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わたしの「占い」に対する考え方

ずいぶんと昔の話だが、占星術師をされている方とお話したことがある。

 

そこには占星術師の方と、そのアシスタントの方がいて、アシスタントの方がわたしを指して「あなた何座? 獅子座? 獅子座ってどんな性格なの?」と、占星術師の方に聞いた。

 

占星術師の方は「獅子座だけど、月星座が蟹座だから、初対面の人に対してはちょっと人見知りで、グイグイ来られると引いちゃう人。でも、慣れたらすごく親しくなれるよ」と、答えていて、アシスタントの方は「そうなんだー。ごめんねー初対面なのに慣れ慣れしくしちゃってー」と、わたしに向かって言った。

 

 

そのときに感じた妙な違和感を、今でも覚えている。

 

 

なんだろう。わたしの性格って、わたしの内面だよね?

わたしの内側にあるものを、なぜわたしの外にあるものに聞くんだろう?

 

わたしという人間は目の前にいる。わたしは会話ができるし、聞かれたことには答えられる。わたしの外見や、雰囲気や、全体の佇まいから推察することだってできるだろう。それなのになぜ、目の前にいる「わたし」を見ることなく、話すことも関わることもせずに、ホロスコープという一枚の紙切れによって、わたしを知ろうとするんだろう?

 

目の前の人のことが知りたいのに、なぜ目の前の人間をそっちのけで、別のものを見ているんだろう?

 

あなたは誰と会話しているの?

 

これが違和感の正体だった。

 

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断っておくと、わたしは小学生くらいの頃から重度の占いオタクで、一時期は原宿の占いサロンでタロット占い師をしていたこともある。

 

ホロスコープだけでなく、四柱推命数秘術動物占いに手相や人相に至るまで、占いの鑑定結果というものが、いかに詳しく正確に「その人」を表すものかということを、わたしはとてもよく知っている。

 

 

でも思う。

占いって「情報」だ。

 

 

ホロスコープ四柱推命(や、その他占い)は、本当に詳しくわたしという人物像を見せてくれる。

 

でも、それは「わたし」じゃない。わたしという人間ではない。

 

遺伝子を見れば、その人がどんな性質を持つものなのか隅々までわかるけれども、遺伝子の配列情報がその人ではないのと同じだ。

 

情報は情報であって、人じゃない。

 

それがどんなに詳しくわたしを表していても、それはわたしではない。わたしによく似た、わたしの「写し」だ。そこに並んでいるのは、わたしの情報であって、わたしという人間そのものではないんだ。息をして、血を流して、感情を感じる「生きたわたし」は、そこにはいない。

 

占いをやっていると、そんな違和感をときどき強く感じる。

 

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冒頭の件に戻ると、目の前の人よりも先に「情報」があるように思う。

 

「獅子座というのはこういう性格ね。だからあなたはこういう性格なのよね」と。

 

違うだろう、って思う。その人がどういう性格か、もっと言うと、その人がどういう人間かは、その人を見ることで知るものじゃないか。

 

その人の顔立ち、表情。会話の受け答え。ああ、この人ってこんな考え方をするんだ。こんな話し方をするんだ。こんな立ち居振る舞いをするんだ。こういうふうに笑うんだな。こういうことで怒るんだ。怒ったときはこんな感じになるんだ。こういう経験をしてきたんだ。こんなことを感じてきて、今はこんなふうに感じているんだ。こういう服装が好きなんだな。こんな人が好みなんだ。

 

こんなやり取りから感じ取れるものが、その人じゃないのかな。その人の「人間性」で、「心のあり方」なんじゃないのかな。その人を知るって、その人を理解するって、その人の心に触れることじゃないかなあ、と思うんだ。

 

 

 

なんかね、逆だよね、って思う。

まず「獅子座はこういう人」があって、その後で「獅子座の人」を見て「こういう人なんだ」と答え合わせをしてるみたいな。その人と会話してるのではなく、脳内にある「獅子座データ」を見て会話してるみたいな感じ。

 

占いサロンにいたとき、隣のブースの占星術師の方が、やたらと自分の体調と星回りを結びつけて発言する人だった。

 

「今日わたし満月だから身体が重いんですよ。それに火星となんとか星がなんとかなので(覚えていない)精神的にもなんかどーーんとしちゃって鬱気味だし、それになんとか星の逆行も起こってるからこんな不調やあんな不調も出てるし——」

 

うん。わかるよ。

実際、わたしも満月だと妙にソワソワしたり、逆に身体が重くなったりするし、水星逆行中は通信やコミュニケーションにトラブルが起こりやすい。それはわたしも体感しているから、それにケチをつけるつもりはない。

 

 

だけど、この人は一体どこを生きているんだろう? とは思った。

 

 

なんかな、

「明日は満月なので、わたし明日は不調になるんです」

みたいなのって、変じゃないか?

 

体感と事実(原因)が逆転してる気がするんだ。

 

この場合も、「情報」が先にある、って感じる。

 

ちょっと乱暴な言い方すると、先に情報があって、それに体の感覚を合わせてる、みたいな感じ。(実際、星回りによって体感覚や心の状態が変化する、というのはよくわかっているんだけどね)

もっと言うと、なんでもかんでも占星術にこじつけてる、みたいな。

 

なんか、この人は「情報」を生きているのかな? と感じた。

 

自分の今いる現実、自分の身体を生きているのではなく、頭の中にある「情報」の中を生きている。そんなふうに、わたしには思えた。

 

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わたしは占いが大好きだけど、占い嫌いな人が危惧しているのって、こういうところなんじゃないかな、と思う。

 

地に足がつかなくなる、とか。

自分を決めつけられているようで嫌だ、とか、よく聞く。

 

これらも、「情報」としての占いを、目の前の人や現実よりも優先したときに起こる感覚じゃないか、と思う。

 

目の前の現実ではなく、星周りや運勢の方ばかりに囚われて生きてしまうのもそう。

目の前にいる人物ではなく、ホロスコープや、鑑定内容だけを見て、その人を判断してしまうのもそう。

 

この「自分という人間を見られていない感覚」が、「決めつけられている」ように感じて、嫌な気分にさせてしまうのだろうね。(書いていて気がついたけど、これ血液型ハラスメントも同じ構造だよね)

 

 

 

占いとは、情報だ。

そして、ただ「情報」とだけ捉えるなら、その精度は素晴らしく高い。

 

それを上手に、生活や人付き合いに取り入れるなら、使いようによっては心を軽くしてくれるし、生きるのを楽にしてくれると思う。

 

 

ただし、情報は情報であって、人ではない。

 

 

その人の情報を知ったからって、その人を理解したことにはならないと思う。

その人に詳しいからと言って、その人をわかっていることにもならないと思う。

 

相手のことを理解するって、その人の「人間性」に触れることじゃないのかな、って思うんだ。その人と直接関わって、その人の感じていることを、共に感じることじゃないか、って思うんだ。

 

その人の熱を、感覚を、痛みや感情や、経験してきた出来事や、そうした心の内側に触れて感じることが、その人を見る(知る、わかる)ということじゃないのかな、と思う。

 

それをせずして、ただ「情報」だけを見るのなら、なにも「占い師」である必要はないんじゃないか。占いの「知識」を詰め込みたいだけなら、ただの「占いオタク」をしていればいい。

 

「占い師」であるなら、人と関わる仕事をするのなら、わたしはその人を感じたいと思う。その人の内側の深いところまで触れたいし、見せて欲しいと思う。血の通った、生きたその人と話したいし、知りたい。その上で、有効な「情報」としての占いを、人生に活かすお手伝いがしたい。

 

 

これがわたしの「占い」に対する考え方だ。

 

 

実際わたし、占いの「知識」に関しては、それほど深く興味がない。

 

あると言えばあるけど、やはりそれはツールとしてであって、わたしはどこまでも「人」に興味があるのだと思う。それも、表面的なことではなくて、人の内面の、深い部分を知りたい。その人の生きてきた物語を、わたしも見たいと思うのだ。

 

そのためのツールとして、占いを使いたい。

 

という感じで、占い師、再開します。

 

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ゼロだからこそ無限だ

とっくに過ぎた話だけれど、36歳の誕生日を迎えた。

 

多分、人生で最も地味な誕生日だったと思う。去年は自分の誕生日イベントなんぞ開催したものだから、落差が激しすぎる。特に何もすることなく、特に誰からも祝われることもなく、一日を終えた。

 

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去年の様子↑

 

いわゆる義理コメが好きじゃないので、あんまり交流のない人から大量にメッセージをもらうのも困るな、と思っていたのだけど、全く反応がないと、それはそれで寂しいものだな、と思った。そうなった理由は自分でもよくわかっているので、それに対して落ち込むわけではないんだけど。来年はどうなるかな。

 

誕生日付近、7月の終わりくらいまで、自分というものがどんどん引き剥がされ、削ぎ落とされていくような感覚があった。感情を大きく揺さぶられるようなことはなかったけれど、今までで一番苦しかった。

 

自分の中にある負の感情に揺さぶられる経験は、今までに何度となくしてきたけれど、今回のは少し様子が違った。今までなら、動揺して激しく反応してしまったところを、今回はその存在をあると認めたまま、じっとそれを受け入れ続けるような感覚だった。

 

黒く苦い毒を、ゆっくりゆっくり飲み干していくような。

 

黒さも、毒も、自分の中にあるなんて、もうとっくにわかっているのだ。もう何度も何度も、その存在を見てきた。暴いて、白日の元に晒して、そのたびに恐怖におびえてきた。今までは、自分の「底」を見るたびに、恐怖と自己嫌悪でどうにかなりそうだったけれど、今回は違った。腹の底が焦げつくような感覚が苦しかったけれど、恐怖はなかった。この感覚はいずれ抜けると、わかっていたからだ。そして実際に抜けた。

 

抜けたからといって、特に劇的な変化はない。

今までと変わらない生活なのだけど、気持ちの持ち方がとても楽になった。今の自分を責めたり、自分を変えなければ、という強迫観念はほぼなくなり、今まで以上に自分に対して肯定的になった。

 

「これがわたしなのだ」という感覚が、今までは多量に自虐を含むものだったのが、今はただの肯定に変わった。自分を認めた、ということなのかもしれない。

 

面白いことに、自虐や自責をやめたら、今までは「こんな自分でどうやって生きていこう」と思っていたものが、「自分には何ができるだろう」に変わった。

 

今までは、「こんな自分に、出来ることなどあるのだろうか」という観点でものを見ていたのが、今は「こんな自分だから、やれることがある」と感じている。その先の焦点はまだ絞れていないが、なんとなく未来に希望のようなものが持てるようになった。

意識が前を向いた。そんな感じだ。

 

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お陰さまで、状況的には人生で最も不安定なのだけれど、気持ち的には今が一番安定している。正直自分でも、なぜこの状況で安定していられるのかわからない。

 

今のわたしは、人生で一番、何も持っていない。

 

34歳で人生を変えたくなり、持っているものを全て捨てた。

35歳で全てから見放され、残ったものも全て失った。

 

全ては言い過ぎだけど、ほとんどのものを手放し、失ったと感じている。正直、失ったものは大きかった。もっと正直に言うと、これほど多くを失うとは思っていなかった。見通しがとても甘かった。

しかし、そもそも手放したのは自分だ。失うものがあるとわかっていて、人が離れていくとわかっていて、わたしは己を通したのだ。責任は自分にある。

 

己の通し方も下手くそだった。それも最初からわかっていた。自分に従うことと、ワガママを通すことの区別もついていなかった。本音を言うことと、感情をぶつけることの違いもわかっていなかった。でも、最初からそれが上手くできるわけない、ということもわかっていたのだ。誰かに正解を教わって、最初から上手くやろうなんて、思っていなかった。

 

わたしは何かを失ってでも、自分の力で挑戦し、自分の責任で失敗し、自分の経験から学びたかったのだ。その学びに、ようやく終わりが見えた。

 

激動の二年間だった、と思う。

外面的にはともかく、内面的にはかなり揺さぶられた。

みっともない姿をこれでもかと晒した。未熟な行動もかなりやった。人に迷惑をかけまくった。不快な思いもさせた。呆れるほど非礼なことを、言ったりやったりした。

 

わかっててやったことだけど、自分が恥ずかしい。

それによって、傷つくことや、失うことを怖れなかったことだけは、褒めてやりたい。

 

正直、今の自分はあのときほど図々しく振る舞えないし、あのときのようにズケズケと人にものを言えない。あのときの自分は、我ながら恐れを知らない戦士のようだった。アンインストールしようとしていたからか。今までの自分を。

なんか上手いこと言えてる気がするんだけど、ひょっとしたら本当に、自分の中を削ぎ落そうとするとき(アンインストールするとき)、人は勇敢になるものなのかも知れんよ。(勇敢というより、蛮勇の方だったけどさ)

 

アンインストール

アンインストール

 

 


石川智晶 LIVE 2015年1月「アンインストール」

 

 

でも、こうも思う。

何も持たないわたしだからこそ、何でも創造できるんじゃないか、と。

ゼロである、ということは、創造性の塊だ。今、目の前に真っ白なキャンパスが用意されていて、何を描くのも自由。そう言われている気がする。そして、何でも描ける、と思っている。今のわたしなら。

 

いちど自分の全てを壊して、これから再構築の段階に入ったのだ。

 

全て壊して、何もかもなくして、今のわたしは真っさらだ。

これからまた積み上げていく。何もないからこそわかる。今の自分には何が必要なのか。何が欲しいのか。どんなものが好きなのか。どんなところに居たいのか。

好きなものと、欲しいもの。それだけを選んで構築していく。

 

今がゼロだから、余計なものはなにもない。

好きなように世界を作れる。好きなように彩れる。

ゼロだからこそ無限だ。

 

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