副業魔女の私小説

人間として正しく生きるより、一匹のいきものでありたい。本業はどうぶつです。

三度の飯より暇が好き

寝たい時間に寝て、起きたい時間に起きる。

これ以上の至福はないと思っている。

 

しかし最近、さらに上の幸福があることに気付いてしまった。

昼寝である。

夏の日差しが適度に差し込む昼間、窓を開ければ風が入って涼しく快適だ。暑すぎず冷え過ぎもしない、柔らかい空気。そんな快適空間で、外を出歩いて照りつける暑さに耐えることも、汗をかくことも、日焼けを気にすることもなく、のんびりと惰眠を貪る。

 

至福である。

 

この上なく気持ちがいい。

冗談でも大げさでもなく、一生こうしていたい、という気持ちになる。

日が高いうちは、たっぷりそうやって無為に過ごし、夕方になって日が傾いてきたところで、散歩がてら買い物に行く。そして、好きなものを好きなように料理して、食事をする。

この、いかにもどうぶつ的な生活リズムが快適でたまらない。幸せだなあ、と思う。

 

こんな生活が可能になったのも、魔女業を再開したお陰である。

相変わらず、本業はどうぶつのつもりだけれど、生活の柱としては魔女的なお仕事をすることになった。魔女的なお仕事とは?それはおいおい書いていくこととする。どちらにしろ、わたしはどうあっても、ちゃんとした「にんげん」はやる気がないらしい。今さら、やれる気もしないし。これはもう仕方がない。

 

わたしはやっぱり、どうあっても三度の飯より暇が好きだ。

睡眠と二度寝と昼寝が大好きだw

 

人間を諦めたら、その生活が実現した。最高だ。

 

これからもわたしは、ちゃんとした人間をやるために頑張ることはしない。

どうぶつでも魔女でも魑魅魍魎でも、肩書きは何だっていいんだよね、実際のとこ。

わたしがわたしであれさえすればいい。何でも。

 

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手帳術について話すつもりが、わたしがいかに人として終わってるかという話になってしまった。

世界は「手帳術」で溢れている。

 

曰く、素敵な女性、活躍している女性、輝いている女性はみな手帳を持ち歩き、手帳を使いこなしている。らしい。事実、わたしの周りにいる活躍している女性たちはみな、独自のノート術を編み出していて、その人らしくノートを活用している。そして、持っているノートもおしゃれで素敵だ。美しい人はそういうところから美しい。

それは大変、人として、女性として憧れる限りなのだが......残念ながら、わたしは手帳を活用出来たことが、ただの一度もない。

 

最初に断っておくと、わたしは手帳が大好きだ。

本屋や文具店の手帳コーナーに行くと、ときめきが止まらない。デザインが可愛いのが多いし、最近ので言えば、表紙が黒猫になってて耳が飛び出たりしてるやつ。ああいうのマジ可愛い。あと、やたらゴージャスで、側面に金箔コーティングしてあるようなやつ。あれも好きだ。持ってるだけで、ハイクラスな女性になれた気がする。

 

なんたって最高なのは、コピーライターの糸井重里さんが代表を務めるほぼ日刊イトイ新聞から発売されている「ほぼ日手帳

あれほどユーザーのことを考え、とことん使いやすく、書き心地や、めくりやすさ、後からもう一度見直すときにまで配慮して、こだわり抜いて作られた手帳はない。どんな人にも使いやすくて、人によって様々な使い方ができ、「自分ナイズ」することのできる手帳。それがほぼ日手帳の素晴らしいところだ。

......ええ。使いこなせたこと、ないんだけど。

 

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むー。

 

そもそもわたしはメモを取る習慣がないんだ。

基本的な考え方が、「覚えておけないものは、覚えておく必要のないもの」だからである。自分に必要な情報というのは、どういう形であれ、必ず自分の中に残るもので、それ以外の情報は努力して残す必要はない、と考えている。これは、自分の記憶力と情報選別能力に、若干の過信がないとも限らないけれど、基本的には「印象に残らなければそれまで」だ。

 

情報に限らず、物でも人のご縁でも何でもそうなんだけど、必要なものは手元に残り、そうでないものは離れていくものだと思っている。だから躊躇なく捨てるし、人に執着しないし、後に残すために何かをしない。それでなくなるなら、それでいいと思っている。(そして、必要なものというのは、捨てた後でも不思議と必ず戻ってくる。あるいは、捨てたはずなのになぜか手元にある、という現象が起こる。ベヘリットか何かのように)

 

ベルセルク ベヘリット 2013Ver. 蝕

ベルセルク ベヘリット 2013Ver. 蝕

 

 

根本的に、わたしは「後に残す」という発想がないんだよね。日記もつけないし。というかわたしは、「毎日欠かさず何かをやる」ことが出来ない。日課とか、継続、とかが何より苦手な人間なのだ。だから日記なんて、つけようと思ったその日のうちに忘れる。そして、何か一つでも長く続いた試しはない。だからもう、いい加減その辺は諦めている。

 

それと関連するのかどうかわからないが、わたしは「予定を立てる」のも嫌いだ。こちらは苦手じゃなくて嫌いだ。 

世の中には、スケジュールが埋まっていないと自分が必要とされていないようで不安になる、という人も多いようだが、わたしは逆だ。スケジュールが埋まるほど、ストレスを感じてしまう。

 

まず、わたしは先のことを考えるのが好きじゃない。

夢や展望を広げるのはいい。そうではなく、例えば3日後にはここに行く予定があるから、それに合わせて今日はこれをしよう。とか、そのためにこれは別の日に回そう。とか、明日は何時に起きるから、今日は何時までには寝よう。とか、そういう「未来の予定に合わせて現在の行動を調整・制限する」のが、とんでもなく苦痛なのである。

 

基本的に、わたしはその日、そのときの気分だけで動きたい人間だし(何時に起きるとか寝るとかも含めて)、そのため、スケジュールが埋まっていると、それだけ多くの制限を抱えているように感じてしまう。耐えられるのは、せいぜい週に3日くらいだ。そして理想を言えば、週に3日ほど予定を入れたら、次の週は丸々一週間休みたい。それくらいわたしは予定と、それに拘束されることが嫌いだ。

 

 

逆に言うと、わたしは暇が大好きだ。

世間一般的な価値観で言うと、暇は辛く苦しいものらしく、SNSなどで「ひま〜」と呟こうものなら、それは「時間が空いて苦痛だから誰か誘ってくれ」という意味になるようだが、わたしにとって言えば、「暇」とは「わたしは暇な時間を満喫しているので、どうぞ邪魔をしないでください」という意味になる。

 

当然、誘いが来れば断る。向こうからしたら「暇なのに何故」って感じだろうが、まさに「だが断る」という感じである。わたしにとって「暇」とは、「スケジュールの空き」ではないのだ。「暇という予定」なのである。

 

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ひま。

 

ときどき自分でも、わたしはどうしてこうも軟弱なのだろう、と自己嫌悪することがある。 

実際誇張でも何でもなく、週に3日以上動けば疲れて別の日に休むことになるし、一日に2つ以上の予定を入れるとパンクする。まあ、わたしは人一倍我慢が効かない体質で、というかそもそも「我慢」そのものが嫌いなので、我慢できないというより、我慢したくないからしない、という、まさに人として終わってる感じなんだけれども。

 

思うに、わたしはスケジュールをこなすときだけ「人間スイッチ」を入れてるんじゃないだろうか。

ご存知の通り、わたしは「どうぶつ」を自称してる人間だ。(変な言い方になるけれども)そしてこの通り、普段のわたしはほぼ「どうぶつ」として過ごしているわけだが、スケジュールをこなすときだけスイッチを入れて、「にんげん」をやっている。これがなかなか体力・精神力を使うので、人より消耗が激しいのだと思う。変身の下手なタヌキが、頑張って人に化けて里に降りてきた、みたいな感じ。

 

 

とはいえ。

批判を恐れずに言おうと思う。

本当のことを言うと、わたしは今まで、自分は「にんげん」をやるのは辛いけれども、他の人はそうでもないのだろうと思っていた。

例えば、わたしとっては早起きはとても難しいことだし、毎日同じ時間に満員電車に揺られて出勤するなんて到底耐えられないことなんだけど、他の人にとってはそこまででもない、習慣にしてしまえばどうってことないことなのだろう、と思ってきた。

 

しかし、最近とても久しぶりに「会社勤め」というものを経験してみて、会社員をやっている人の本当に多くが、身体のどこかを病んでいるという事実を知った。女性の多くは婦人系の病気を患いながら、痛みに耐えて仕事をしている。男性の多くも、睡眠不足で年齢の割に顔色も肌の調子も悪く、むくんだ顔で仕事をしている人が多いと感じた。

 

毎日出勤する。必ず決まった時間を守る。時間内は同じ場所に留まり続ける。会社の決まりは守る。上司の言うことは聞く。嫌なことは我慢する。感情は出さない。前日の仕事が何時に終わっても、次の日の朝は同じ時間に出勤する。遅刻はしない。そのため、食事や睡眠の時間をコントロールする。

 

これらは、「人として当たり前」のことなのかもしれない。

 

だが、それを守るために多くの人が健康を損なうのなら、それは人として正しくても、生き物としては正しくないことなのではないか。いや、そのために体調管理はしっかりするのが社会人としての務め、なのかもしれないけど、この場合の健康は身体だけを指さない。心の健康も含めてだ。心身のどこかしらに不調を負いながらでなければ出来ないことなら、それは「自然」ではないのではないか。そう思えてならない。

 

それでも、そうしている人はそうしなければならない理由があるのだろうし、ご本人がそうしたくてしてる場合もあるだろうから、他人のすることに対して、わたしはとやかく言うつもりはない。(し、その資格もないだろう)

 

ただ、わたし個人の場合に限って言えば、わたしはそこまで心身に負担をかけてまで、自分を傷つけ、苦しめてまで「まともな人間」をやろうとは思わない。それが出来ないならお前は人間として失格だ、と言われるなら、もう失格で構いません。変身の下手なタヌキで充分です、と思ってしまう。

 

そんなわけで、わたしは今日も、ちゃんとした「にんげん」であることは、もう諦めて生きている。

 

……あれ。手帳術について話すつもりが、わたしがいかに人として終わってるか、という話になってしまった。

これもまあ、一種の自己紹介です。

 

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人を救いたくて生きていた。

 「なぜ生きるのか」と、生きる理由を問われたら、「特に死ぬ理由もないから」と答えるくらいには、今のわたしは生きることに消極的だ。

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数年前のわたしはそれこそ、人を救いたくて生きていた。

 

自分に「生きがい」と言えるものが欲しかった。

こどもを教えること、それで自分に自信を持ち、前向きなこどもが増えること、子育てが楽になるお母さんが増えること。それがひいては、日本の未来を良くすることになると思っていた。それが自分の使命だと思っていたし、何か「使命」を持った自分になりたかった。

 

それまでの自分に、あまりにも自信がなさすぎたからだ。

大学を途中で辞めてしまったから学歴もなく、仕事が続いたことがなく、キャリアと言えるものもない。技術も、資格も、経験もない。なんにもない自分。

そういうものを持っている人が、価値ある人間だと思っていたから、それらに変わるものが欲しかった。なんにもない自分を、他の価値ある何かで埋めたかった。

 

それが、わたしにとっての「使命」とか「天命」と言われるものだった。

使命や天命に生きていれば、自分に価値が生まれると思っていた。すごい自分に、人から尊敬される自分になれる、と思った。だから、いつも誰かに感謝されたかった。「あなたのお陰です」と言われた分だけ、自分の価値が増えると思っていた。

 

だから尽くした。尽くしまくった。生徒のために、保護者のためにできることは何でもした。時間も厭わず、どんな相談にでも乗ったし、どこへでも出かけて行ったし、求められる結果は確実に出してきた。家庭教師時代の、わたしの生徒の成績アップ率も志望校合格率も、共に100%だ。結果を出さなかったことは一度もない。

 

何せ、それで自分の価値が決まってしまうと思っていたから、結果を出せないことが恐くて仕方なかった。わたしは縋っていたのだと思う。「先生のお陰です」「感謝しています」と言われることに。

だから、結果を出したのに感謝されなかったりすると、わたしの中には不満が溜まった。こんなにしてあげたのに、といつしか思うようになった。もはや感謝されることは、「目的」というより「生きる糧」みたいになっていた。

 

そうこうしていたら、ある日わたしは「お前のせいで」と罵られることになった。「お前のせいで自分は不幸になった」と。

ちなみに、この相手は生徒でも保護者でもなく、言ってみれば「無関係」の人だ。個人のプライバシーの問題があるので、詳しいことは語れないが、わたしはその人から一方的に罵倒された上、その後手首を切ったという報告を受けた。

当時、そこで冷静でいられた自分を褒めてやりたい。結構な衝撃だった。

 

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当時のわたしは、どうしてこんなことになってしまったのだろう、と戸惑うばかりだったけれど、今ならわかる。「あなたのお陰」と感謝されることを、生きる目的にしてしまったからだ。

「あなたのお陰」は、簡単に「お前のせい」に変わる。

このふたつは表裏一体...というより、イコールだ。自分が原因で、相手が幸せになれば「あなたのお陰」不幸になれば「お前のせい」相手の状況の原因を「自分」にしている以上、このふたつは相手次第でいくらでも入れ替わる。

 

「幸せにしてあげたい」は「幸せにできなかった」を生むし、「助けてあげたい」は「助けてもらえなかった」を生む。

わたしは、大事なことがわかっていなかった。

「幸せにしてあげたい」と思う時点で、わたしはその人を「不幸な人」にしてしまっていること。「救ってあげたい」と願うことは、その人を「救われていない人」にしてしまっているということ。

 

だから、誰かを救いたいと願うことは、不幸な人を生み出すことになるんだ。

ある決定的な出来事があった。

カウンセリングをしていたとき、数回目のセッションで「なんか、色んな方の本やブログを読んでいたら、だんだん気持ちが楽になってきたんです。楽しいことが増えましたー」と、にこにこ笑うクライアントを見て、わたしは物足りなさを感じたのだ。

 

ーーえー、そんな簡単に楽になられたらわたしの仕事がなくなるじゃん。

ーーていうか本やブログって何? だったらわたしのカウンセリング受ける必要なくない? そんなの見なくていいじゃん。あたしの話を聞こうよ。

 

そんな声が自分の中から聞こえて、わたしは心底やばい!!と思った。

わたしは、この人に不幸でいて欲しがっている。わたしのお陰で助かって欲しいから、他の人やものから遠ざけようとしている。この人を自分に依存させようとしている......!

 

その思考に気づいて、わたしは青ざめた。何を考えてるんだろう。人を自立させることを目的としていたはずだったのに。共依存なんて一番嫌いで、一番避けたい関係のはずだったのに。気がついたら、逆をやっている......

 

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要は、わたし自身が自立なんかしていなくて、「人を救う」ということに依存していた状態だったんだよね。「人を救える自分」という立場に依存してた。

 

そのためわたしは傲慢になり、自分の力を過信してしまった。同時に、相手を弱い人に仕立ててしまった。相手が自分で立ち上がる力と意欲を奪い、相手の領域に踏み込み過ぎてしまった。上に書いた事件は、そんなわたしに対する戒めだったのだろう。

 

大事なことは、その人が楽になることで、悩みが消えることで、幸せになることだ。そのきっかけは様々で、たまたま目についた本やブログのときもあれば、人と話した内容のときもあれば、著名人の講座やセミナーのときもある。空を見上げた瞬間だったり、何かよくわからない何かのタイミングだったりもする。

わたしがその人のために何かしようが、しなかろうが、その人はその人のタイミングで勝手に癒されるし、勝手に救われる。大事なのはそういうことなんだと思う。

 

他人の人生に対して、わたしは何も関与できない。

わたしの力で人を幸せにはできないし、不幸にもできない。

だから、「わたしのお陰」もなければ、「わたしのせい」もない。

けれど、それを求める思考は、その現象を生み出してしまう。

 

だから、その世界から抜けようと思った。

 

今のわたしは、誰のことも救おうとしていないし、誰の役に立とうともしていない。自分の幸せと、自分のしたいことだけを追求して生きてる。

見方によっては、この生き方は人非人と言われるのかもしれない。

人として正しくはないのかもしれない。

でも、あのときの自分に比べると、今の自分の方が遥かに、精神的に健全だと思えるんだよね。

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らぶ♡

 

何かのために生きなくていい。

誰かのために生きなくていい。

人生に「生きがい」も「使命」もいらない。

 

実は、そうすると生きることが割と退屈というか、暇な感じになるんだけどw

今はそれでもいいかな、と思っている。 

 

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「救われるべき人」なんて、この世にいない

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2年前、7年間従事してきた教育の仕事をやめた。

それを発表したとき、何人かの友人から言われたことがある。

「朝海さんなら、もっと多くの人を救えるのに(もったいない)」

という言葉だ。

 

わたしはこの言葉に、ふたつの違和感がある。

 

ひとつは、救いたい人がいるなら、自分で救えばいい、ということだ。

「多くの人を救えるのに」という言葉から察するに、彼女たちには「救われるべき多くの人」が目に映っているのだろう。その人たちを救いたい、という想いがあるのなら、なぜ自分で救おうとしないのだろう? なぜ自分で動こうとはせずに、わたしの働きに託そうとするのだろう?

 

あるいは、自分ではできないというのなら、わたしの元にその人を連れてきたっていい。この人を救って欲しいんです。朝海さんにお願いしたいんです、という手段だってあった。しかし、そういうことをする素振りは全くなくて、わたしが辞めると言ったとたん、「あなたに救って欲しい人がいたのに」「残念だ。辞めないで欲しかった」という言い方をしてくる。

 

これは一体どういうことなんだろう?

 

ーー救いたいのは誰なのか。

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で、それがふたつめの違和感に繋がる。

つまり、その「救って欲しい人」とは、実在しているのですか? ということだ。

おそらく、実在はしていないんだと思う。彼女たちのいう「多くの救われるべき人たち」は、具体的な誰かではなく、彼女たちの脳内でだけ見えている虚像なんだろう。

 

じゃあ、その虚像の正体ってなんなん? という話になるのだが、それは彼女たちが必ずワンセットで発言してくる言葉の中に、ヒントがあるように思う。

「わたしがこどもの頃に、朝海さんのような先生に出会いたかった」

わたしに上のような言葉をくれた人たちは、全員が同じように、この言葉を口にしている。こどもの頃に朝海さんに教わっていたら、わたしはもっと幸せだったのに。もっと楽しい学校生活が送れただろうに。

 

そう言ってもらえることは、心から光栄に思う。

 

でも、おわかりのように、彼女たちは全員、こども時代が楽しくなかった、不幸な学校生活を送っていた、と感じている人たちだ。だからこそ、そんな自分と同じように不幸な思いをしている、楽しんで学校生活を送れていないこどもたちの存在に意識が行き、それをわたしに助けて欲しいと願うのだろう。それは悪いことではない。

 

しかし、ここで考えなければいけないことがある。

彼女たちが救いたいのは、救って欲しいと願っているのは、本当は誰なのか? という点だ。

 

彼女たちが救いたいのは、こども時代の自分自身だ。

 

こども時代に、学校でいい先生に巡り会えず、クラスに馴染めず、勉強が嫌いで、傷ついていた過去の自分自身。その傷がまだ癒えていないから、同じような傷を持っているであろう「誰か」を探してしまう。その人を癒そう、救おう、としてしまう。けれど、それは順番が違う。

 

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自分が傷を抱えたまま、他人を何人癒しても、あなたの傷は癒されない。同じような境遇にいるこどもを、わたしが何百人、何千人救おうと、あなたの中にいる小さなこどもは救われない。

だから、わたしに誰かを救って欲しい、なんて、最初から的外れなんだ。

あなたが本当に救いたいこどもは、外の世界にはいない。そしてその子は、あなた以外の誰にも、救うことはできないんだよ。

 

だから、もしあなたに「救いたい誰か」がいるなら、その救いたい相手によく似たかつての自分自身を、まずは救ってあげて欲しいなと思うんだ。救うなんて大げさな言い方だけど、要は「その人にしてあげたいこと」を、自分にしてあげることだ。だってそれは、かつての自分が、誰かにして欲しかったことのはずだから。 

 

自分の中にいるこどもの声に、耳を傾けて。

なにが悲しかった?

なにがしたかった?

なにを言いたかった?

なにを言って欲しかった?

それを全部、今の、大人の自分が叶えてあげよう。

 

頭の中にいる、普段の「分別ある大人の自分」には、いったんご遠慮いただいて、無邪気で大人げないこどもの自分を、思いっきり喜ばせてあげよう。その、無邪気で、分別がなくて、未熟で大人げなくて、みっともなくて、どうしようもない、そんな自分を許そう。そんな「こどもの自分の存在」の居場所を、自分の中に作ってあげよう。 

 

自分で自分を安心させて、自分で自分を許して、自分で自分を認めて、自分で自分を褒めてあげて、自分で自分を勇気づけてあげて。それはきっと、あなたが誰かにしてあげたかったこと。それを全部、まず自分にしてあげるの。

 

そうやって、自分自身がが安心して、喜んで、幸せになったら、その目で改めて周りを見て欲しい。

「救われるべき人」なんて、この世にいないとわかるから。

全ての人が、自分で自分を救えるのだとわかるから。自分が救えるのは、自分だけなんだと、わかるから。

 

ーー救われるために救おうとするのは、終わりのない無限地獄

とりあえずね、身の上話をしながら涙を流してしまうような人は、人を救うとか考えない方がいいよ。人を救うことで自分が救われようとするとか、人を救える自分になることで自分に価値を見いだそうとしてしまうのも、たいへん危険よ。

 

それは、自分の世界に不幸な人(不幸に見える人)を量産してしまうだけだし、そんな動機で人をどれだけ救っても、終わりはないからね。自分を磨り減らすだけよ。

 

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この人と同じ闇に堕ちるでよ。

※この人とは→アーチャー(Fate/staynight) (あーちゃー)とは【ピクシブ百科事典】

 

この人のことは、わたし死ぬほど好きだけどね(笑)

「全ての人を救いたい」という理想の前に、この人はまず、たったひとりの自分自身を救ってあげたらよかったんじゃないかなと思うよ。殺そうとするのではなく。

 

ただUBWの結末を見るに、結果的に彼は救われたように感じる。

過去の自分を肯定することで、今の自分を癒すのがインナーチャイルドヒーリングなら、この人の場合は、過去(現在)の自分から肯定されて今(未来)の自分が救済された、逆インナーチャイルドヒーリングだな、と思った。

作中でも言われているように、魂の世界には時間の流れ(過去→現在→未来)は存在しないらしいから、こういうこともアリなんだなあ、とスピリチュアル目線で感動しました。

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【コスプレ写真館】〜魔女の館〜

趣味のコスプレ写真館です。

既存のキャラクターになるのは今のところ興味がないので、オリジナルキャラを創作してます。今回は和服の魔女。

 

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CLAMPのxxxHOLiCKに出てくるキャラに似てる〜って言われたんですが、偶然似ちゃいました。CLAMP大好きなのですがxxxHOLiCは未読なので、これを期に読んでみよっかなあ、なんて。

 

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髑髏を愛しげに見つめる魔女。

それはかつて愛した男の躯か。悠久を生きる魔女は、愛する者と最後まで添い遂げることはできない。しかし肉体が失われても想いは残る。男が生きていた確かな証であるその躯と、魔女は永遠に生き続け、心で会話を続ける。

 

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よく見ると、あと2人いますね…

これは誰なのかな、って考えたんですけど。

代々魔女に愛されてきた歴代恋人、という説もあり、あるいはひとりの人間が転生を続けた姿、という説もあります。

魔女と愛し合い、一度めの人生を終え、転生した先で、時代も人種も国籍も越えて再び魔女に出会い、また愛し合う。そしてまた...と、何度も転生と出会いを繰り返してきているのです。そういうのもありかな。

 

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使い魔の鴉と語る魔女。

何らかの報告を聞いているのか。かつて愛した男を小脇に抱えて。かつての恋人に対する扱いが、だんだん雑になってきているようにも思える魔女様です。

 

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かつて愛した男、もはやひとり足元に転がってます。

この方が生前、恋人にどんな扱いをしてきたのか、若干疑問に思えて参りました。

 

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今回、撮影をしてくださったのは、浅草にある着物写真館

変身写真店BIKAさんです。

henshinbika.com

 

ポップでおしゃれな衣装とセットで、センスある独特な空間を作り出してくれる写真館です。こちらの希望も丁寧に聞いてくださり、豊かにイメージを膨らませ、かたちにしてくれます。大変お世話になりましたー 

衣装やセットなどの希望も、大変細かく聞いて下さいました。ありがとうございます!

和服だけでなく、ドレスの方ももうすぐ準備ができるそう。

世界観のある写真を撮りたい方、一風変わった個性的な衣装で撮影したい方、かわいい和服着たい方、おすすめですよー♡

 

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